研究者を目指すあなたへ
私がこの研究を始めた理由
中村 隼明(基礎生物学研究所)CV
はじめに
畜産というと、多くの方はウシ、ブタ、ウマ、ヒツジ、ヤギ、ウサギなどの家畜を想像するだろう。忘れがちだが、ニワトリ、アヒル、ウズラやシチメンチョウなども重要な家畜(家禽)である。私は、家禽を含む家畜の遺伝資源を安全かつ半永久的に保存するために、新しい生殖工学技術の開発やこれまでに確立された技術を改良するといった研究に取り組んでいる。今回は、「私がこの研究を始めた理由」というテーマで、私のルーツを辿りながら執筆させて戴いた。文面は、少々長いがお付き合い願いたい。
動物遺伝資源の保存に関わる研究を始めたルーツ
動物遺伝資源を保存したいと考えるようになったきっかけは何だろうか?私が小学生だった頃にさかのぼろう。みなさんは、夏の自由研究を覚えているだろうか?我が家では、父の協力を得て夏の自由研究に取り組むことが毎年の恒例行事であった。虫取り少年だった私は、毎年生き物を対象とした研究に取り組んだ。研究テーマは、友人にもらったアメリカザリガニの成長記録から始まり、近所の川で採取したホタルの幼虫の養殖や、水生生物を指標にした河川の水質調査、樹木に着生した地衣類を指標にした大気汚染調査等である。
とりわけ、思い出深い研究は、トンボの生息環境の調査である。わたしの故郷である神戸は、都会のイメージが強いが、実のところ自然との調和がとれた美しい街である。驚くべきことに、神戸では92種のトンボが確認されている。これは、日本に生息するトンボ(203種)の実に45%に相当する。私自身、神戸で60種のトンボの生息を確認している。この中に私の人生を変えたトンボがいる。それは、ベッコウトンボである。
ベッコウトンボとは、種の保存法『絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律』で保護の対象に指定されており、環境省が公表したレッドリストの絶滅危惧IA類(CR)に指定されている絶滅危惧種である。非常に残念なことに、1994年の全国規模の渇水により生息していた池が干上がったことが原因で、ベッコウトンボは神戸から姿を消した。これがきっかけで、地球上には絶滅の危惧に瀕している生き物が多くいることを知り、同時にこのような絶滅危惧種を保護したいという考えを持つようになった。これには、生き物のことをよく知り、どうのようにして保護するか?その方法を考える必要がある。そこで、このような仕事ができる研究職に漠然と憧れを抱くようになった。嬉しいことに、今年5月に別の生息地ではあるがベッコウトンボを観察することができた(図1)。実に19年ぶりの再会であった。
畜産学の道へ
高校生になって、いよいよ進路の選択に迫られた。大学では、生物を対象にした学問を学びたいと考え、それならば理学部か農学部のどちらかであろうと考えた。そこで、私は農学部を選択したわけだが、理由は非常に単純で農学部は実用化を目指した応用的な学問であり、理学部は真理の追究といった基礎に重きをおいた学問というイメージを持っていたためである。研究者になった今考えてみても、このイメージはある程度的を射ていると感じる。農学部にも、もちろん基礎研究があるわけだが、多くの研究がどこか応用を指向しているように感じる。これには、ポスドクから理学部の基礎研究の世界に飛び込んだことが大きく影響しているわけだが、応用のために基礎研究に取り組むというのが現在の研究スタイルである。
話を過去に戻そう。私は、昔から動物に強い興味を持っていたので、大学では動物について学びたいという希望があった。農学部で動物といえば獣医学か畜産学なので、進路に関しては両方を視野に入れて考えていた。結局、偏差値の問題から畜産を学べる大学を受験にすることになったわけだが…(笑)これが、私が畜産学に飛び込んだきっかけである。呆気にとられた方もいるのではないだろうか?確かに、将来について悩み抜いて決断することは、重要なことであると思う。一方で、縛りをつけ過ぎると、融通が利かなくなるうえ、選択肢も限られてしまう。むしろ、おおまかな方向性を決めて、その世界に飛び込んでみるのもアリではないだろうか?柔軟に物事を受け入れることができ、結果的に選択肢も増えるように思う。
大学生活は、数ある選択肢の中から本当にやりたいことを見つけるための恰好の期間であると考える。私は、2002年に信州大学 農学部 食料生産科学科に入学し、農学徒としての道を歩むことになった。長野県は自然が豊かでありアウトドア・アクティビティにはもってこいの環境であり、大学の広大な付属農場では実際に動物に接しながら楽しく畜産学を学ぶことができた。と、まぁ体裁の良いことを書いてはみたが、あまり真面目に座学を勉強しなかったので、実習のことしか記憶にないというのが実のところである。実際に体で学んだことは、そう簡単には忘れないものであり、フィールドワークは畜産学を学ぶための非常に有効なツールであると考える。また、フィールドワークで培った知識や経験は、現在に至るまで実験に使用する動物の飼養管理に活かされている(図2)。
いざ研究職へ
私が研究職を志望しようと意識するようになったのは、大学に入学して間もなくのことである。入学式のオリエンテーションのアンケートで「将来はどのような職種に就きたいか?」という項があった。当時、大学に進学することが目的となってしまい、恥ずかしながら自分が将来やりたい仕事という本当に肝心なことについて意識して考えることを忘れていた。何をやりたいか?と自問すると、すぐに研究者が思い浮かんだ。チャールズ・ダーウィン博士やグレゴール・ヨハン・メンデル博士、ジェームズ・ワトソン博士とフランシス・クリック博士といった偉人の発見に感銘を覚え、彼らに強い憧れを抱いていた私は、無意識のうちに研究を仕事にしたいと考えていたようだ。
そこからは、お決まりの連想で、研究者になるには博士号の取得がストレートな手段だと考え、進学することを決意した。実際には、研究者になるためにはいくつかのアプローチがあるわけだが、私に関しては進学というアプローチを選んでよかったと感じている。大学院在学中には、研究計画の立案、遂行、トラブルシューティング、学会発表や論文作成など研究職に必要不可欠な技量を養うことができた。また、研究職という仕事柄、学会等で思わぬ大御所と出会う機会がある。昨年の話だが、私もコールド・スプリング・ハーバー研究所主催の学会に参加した際、憧れの研究者の一人であるジェームズ・ワトソン博士にお会いすることができた。研究職を選んでよかったと思う瞬間の一つである。
エコロジーかテクノロジーか?
次に、どんな研究に取り組みたいか?であるが、私は動物遺伝資源の保存につながるような研究に取り組みたいと考えた。当時、生態学(エコロジー)あるいは生殖工学(リプロダクティブ・テクノロジー)を選択肢として考えていた。希少種や絶滅危惧種を保存するにあたって重要なことは、個体数の確保と生息環境の保護である。これには、これらの動物と環境の相互作用を理解することが重要である。一方で、動物を効率良く生産するために開発された生殖工学技術を駆使して動物遺伝資源を保存するというアプローチも考えられる。実際に、繁殖分野において開発された体外受精(母体外で受精させる技術)、胚培養(受精後の胚を培養する技術)や胚移植(体外受精で得た胚を母体に戻す技術)といった生殖工学技術は、ヒトの不妊治療の現場に応用されている。最終的に、私はテクノロジーを選んだわけだが、前述のような応用性の高さに強い魅力と研究分野の発展性を感じたためである。
おわりに
生殖とは、生物が自らと同種の個体を作出することを指し、これにより生命の連続性が保たれている。生殖はすべての生物で共通の事象であり、高等動物ではほぼすべての種が有性生殖である。同じ有性生殖とはいえど、その様式は種によって多様である。たとえば、胚の発生環境ひとつを例に挙げても、哺乳類では母体内であるのに対して、その他の高等動物では体外である。そのため、生殖工学技術は、種によって独自の発展を遂げてきた。また、生殖工学技術自体も、時間の経過に従って進歩している。詳細に関しては、次回のテーマ「私の研究はこんなことに役立っています」にて紹介する。乞うご期待を。