研究者を目指すあなたへ
研究者になることを決めた日のこと
渡邊 源哉(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)CV
2020年1月
仕事として研究を始めてから4年弱(日本学術振興会の特別研究員の期間を含めると5年弱)になります。私は大学に学部生として在学していたころには、「研究者になろう」という気持ちはこれっぽっちもなく、「修士まで進学して、修了後は民間企業に就職する」という、多くの人が考える将来像を描いていました。事実、修士1年の3月末まで、私は民間企業の就職活動を行っていました。そんな私が、なぜ就職活動をやめたのか、なぜ「研究」という世界に足を踏み入れたのか。この記事ではその始まりから今に至るまでのお話をかいつまんで書かせていただこうと思います。
私が就職活動をしていたのは、2011年から2012年の間。世間はリーマンショックの余波をまだありありと残しており、「就職氷河期」の真っただ中でした。私はエントリーした数多の企業からお祈りされ、時には選考通過の連絡をもらい、一喜一憂するごく普通の就活生でした。そんなある日、自分の中で志望度が特に高かったとある企業から、「選考を通過したので役員面接に来てほしい」との連絡を受けました。しかし、指定された日は畜産学会の口頭発表の日と被ってしまっていました。私は先方にその旨を連絡し、面接の日取りを変更できないか尋ねましたが、変更はできないとのこと。普通の就活生であれば、ここで学会の発表を取りやめます。厳しい就職氷河期の中で何とか得たチャンスをみすみす逃すことはあり得ません。……しかし、結局私は面接を丁重にお断りし、畜産学会で研究発表を行いました。ここでようやく、私は私自身が普通の就活生ではないことをはっきりと認識しました。
思い返してみれば、エントリーシートを書きながらも、移動の夜行バスの中でも、宿泊中のネットカフェでも、次の実験のことを考えたりしていました。思うに私は研究が好きだったのです。筋肉中の遊離アミノ酸のクロマトグラムを見ながら、これまで気がつきもしなかった些細な変化に気が付いた瞬間や、実験計画当初に考えていたものとはまるっきり違う結果が得られたとき、私は興奮を感じていました。そして、そんな面白いと思っていることに気を取られながら、民間企業で働く社会人を目指していました。今思うとこの時の私は選考してくれている企業にも、自分自身の欲求にも不誠実な、実によろしくない就活生でした。
この再認識から一転、私は選考が進んでいたすべての企業に辞退の電話を入れ、就職活動を完全に辞めました。そして、博士後期課程へ進学する覚悟を決め、猛然と実験を始めました。進学した当初は、同期の仲間たちが社会人として活躍している様子と学生を続けている現在の自分を見比べて、進学の選択に自信が持てなくなり、神経性の胃炎で食事がのどを通らなくなったこともありました。しかし、博士後期課程在学中に鶏に給餌する飼料中に含まれるリジンというアミノ酸の量を制限すると、ムネ肉中のうま味成分が増えることを世界で初めて発見し、うま味成分が増加するメカニズムの解明や鶏肉の味の官能評価に夢中になる中で、研究の道に進んだ不安は少しずつ薄れていきました。その後も、日本学術振興会の特別研究員として採用されたり、畜産学会から優秀発表賞をいただいたり、外部の評価からも自分が研究に向いているようであると自信を深めていきました。
現在の日本は若手研究者が職を得やすい状況にあるとは言い難く、その多くがポスドクや任期の定められた研究員として働いています。幸いにして、私は今年度からパーマネント研究員のポストを得ることができましたが、任期付の研究員として働いていた時には、将来への不安からたびたび胃を痛めました(もともと胃腸が弱い)。また、研究は一般的な経済活動のように、誰かを幸せにするものやサービスを直接的に生み出さないため、社会には不要な「遊び」に見えてしまうこともあります。それでも、「世界中の誰も知らないことを、世界中の誰よりも先に明らかにする」という研究の醍醐味には得難い魅力がありますし、その成果をまとめた論文が掲載された時の達成感はひとしおです。そして、未来の社会を豊かにする技術というのは、そんな研究者が持つわくわくや執念によって得られた発見から生まれてくるものだと私は思っています。
もし、私のようにふとしたきっかけで「自分は研究が好きだ」と自覚したのなら、あなたは研究者に向いているかもしれません。その際には研究者としての道を歩んでみることをオススメします。