研究者を目指すあなたへ

論文書くのが辛いと思っている学生さん、それは研究者としての大事なお仕事ですから我慢して書きましょう

塚原 直樹(総合研究大学院大学)CV

小さい頃の夢は「博士になる」。

というのをすっかり忘れていた、論文執筆に苦しんでいた博士課程1年生の年末、実家で何の気なしに小学校の文集を開くと、「将来の夢『博士』」の字を発見。あの頃の博士像なんて、よくバラエティ番組のコントで見られる、白衣を着て化学実験を失敗して髪の毛がボンってなっている人物や、アニメで悪役のマッドサイエンティスト。それをなんとなくかっこいいと感じ、文集に書いていたのかもしれない。小学校5年生には天文学者になりたい、という夢を持ち、親に天体望遠鏡をせがんで買ってもらったはいいが、月のクレーターを見て、それっきりだったなあ。そんなことを思いつつ、今は本当に博士、学者を目指す自分がいて、ふと、可笑しい気持ちになった博士課程の自分。何十回と指導教員に怒られながら投稿論文を修正し、その後のレビュアーとのやり取り、もうなんなの研究って、ほんと辛い、と打ちひしがれていたその時の私だったけど。

その年末年始の私のパソコンはカタカタ鳴り、その後間もなく処女作は受理された。日本語で書かれた論文だけど、今でも一番印象に残る論文。

以降、論文執筆は相変わらず辛い。英語のできない私は本当になかなか書けないが、血尿を出しながら(事実です)も、博士1年からの9年間、どうにか年1報のペースで第一著者として書いている。

ぽんぽん小気味いいリズムで論文を出す研究者もいるが、やはり論文を書く作業というのは大変だと思う(そうでも無い方もおられるかと思いますが、ぜひともその秘訣をお伺いしたいので、ご一報ください)。締め切りの無い仕事だから後回しにしがちだし、書いたからといって、お金がもらえるわけでもない(むしろ掲載料を支払う必要があったりする)し、就職先が見つかるわけでもない。しかしながら、1報も論文を発表していなかったら、学位も取れないし、研究者のポストには着けないだろう。

名前が知られているジャーナルに出さなくても良い(それはできれば、インパクトファクターが高い雑誌に投稿したいけれど)、日本語だって良い。私は博士課程の時に4報発表したが、その内3報は日本語だ。それでも、発表することが評価につながる(事実、私は奨学金の全学免除を受けた)。私が3報も日本語で書いたのは、2作目を英語で指導教員に提出した10分後に、「君、これ本気で書いたの?ロジックが全くなってないよ。というか英語になってないね。」と言われ、「君はまず日本語で3報出してからだな。」という縛りがあったためである。それを言われた時、やっている時は辛かったが、指導教員のその指導には、私はすごく感謝していて、日本語で徹底的に鍛えられたことで、その後の私の文章は飛躍的に改善された。

ちょっと横道にそれたが、日本語で書いたって、発表することがとにかく大事である。有用な情報が含まれていれば、引用はされるし、リアクションはあるものだ。事実、私は実際にカナダの研究者から問い合わせを受け、拙い英文で意見交換、情報交換をし、その研究者の論文(もちろん英語)に引用された。

「私はこんなちまちました文章の体裁などにこだわって論文を書いているわけではない、ただ生命の真理を追求したいだけなんだ」などと、誰しもが論文を書いている時は思い、パソコンデスクを立ち、ピペットを握り始めるわけですが、論文を書かなければ、発表をしなければ、その高尚な研究も続けることができません。だから書きましょう。新しい実験、追試を始める前に、まずは一文でもいいから。

と自分に言い聞かせる。

思い出深い処女作

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