研究者を目指すあなたへ
博士課程後期に進学しようと思ってしまった迷える子羊へ
杉野 利久(広島大学)CV
「ホームレスになる覚悟はできましたか?」
教授室で煙草を喫しながら,教授に言われた有り難いお言葉である。修士論文を書き上げ,博士課程後期の進学試験も終わり,抜け殻のような私は,「(そういうことは試験を受ける前に言って下さいと思いつつ)ホームレスになる覚悟はないですがね,まあ,就職がなかったら他分野の大学にでも入り直しますかね」と笑いながら言ったのを覚えている。
博士と言えば,そういう世界を知らない人には響き良く聞こえるかもしれないが,大学や研究機関で研究などに従事する人にとっては,免許証のようなものであり,博士を取得してもそういう仕事に従事しなければ,何ら価値もない。では,博士を取得したら研究者になれるのか,というとそうでもない。理由は簡単で,博士取得者全員を受け入れるだけの箱がない。「ホームレスになる覚悟」とはそういうことである。博士課程は前期・後期あわせて5年である。学部を卒業し大学院を修了するということは,現役で大学に入学した人でも27歳になっており,しかも,大学院でどっぷりマニアックな専門研究のみに従事しているわけであるから,視野狭窄に陥っている。研究職に就けなければ,つぶしがきかない。博士課程後期に進学すること自体,ギャンブルと言っていい。ただ,あくまでも研究者を目指す人の話である。
「私は研究者になりたかったのか?」,未だにこの問いに答えられずにいる。当時の私は,ただただ社会に出たくなかった,と言った方が正しい。はっきりとした将来像もなく,私にとっての最後の救済施設である博士課程後期に進学しただけのことである。私のような社会不適応者にとっては,博士課程後期進学はギャンブルでもなんでもない。むしろ選択肢がそれ以外になく,「ホームレスになる覚悟」だけあれば良かった。大学で教員をしていると,今の学生がいかに真面目かと思い知らされる。授業評価が厳しくなると聞けば,早朝から授業に出席し,就職の厳しさが喧伝されると早くから就職活動に余念がない。人生の束の間の自由な時間を謳歌することもなく,社会への適応に専念する姿はいじらしくもある。首尾よく就職が決まれば幸いだが,数多くの会社への就職活動も虚しく,社会から否定されたと思い詰める学生もいる。何とか就職できても新入社員の3割が3年以内に退・転職すると聞く。
今の時代,研究者を目指す人にとって博士を取得することは絶対条件である。そのためには,博士課程後期へ進学せざるをえないが,博士の取得と研究職に就くはイコールではない。しかし,一旦このギャンブルに賭けたなら,失敗しても後悔しない選択であるべきで,覚悟が必要である。私は,幸いにして運良く現職を得たが,もし博士取得後,研究職に就けなかったとしても後悔はしていないだろうし,他の人生を謳歌していると思う。博士は,英語で「Ph. D,Doctor of Philosophy」である。後期の3年間,研究に勤しみながら,将来に対する漠然たる不安を抱きつつ,人生の哲学を考えるだけでも意味のある時間だと思う。