研究者を目指すあなたへ
私がこの研究を始めた理由
松浦 晶央(北里大学)CV
私は、同志社大学工学部というより、同志社大学馬術部を卒業しました。大学入学前には馬との接点はほとんどありませんでしたが、生き物が好きだった点、大学から新しいスポーツを始めたかった点、体が小さいことが不利にならない点から、自然と馬術部を選択しました。初めて馬術部厩舎を訪れた当日、「自分はここで4年間を過ごすのだろうなぁ。」という、不思議な感覚があったのを今でもよく覚えています。学部4年間はまさに馬漬けの日々でした。朝5:30過ぎに自宅を出て7:00に厩舎に集合し、馬房内の糞除去・装鞍などの後、騎乗します。乗馬後の手入れを終えると11:00頃になり、先輩、同期、後輩たちと早い目の昼食をとるとまた厩舎に戻ります。夕方には作業の当番と一緒に馬の世話をし、夜は週2回程度宿直をします。たまに講義に出ることもありましたが、語学・実習以外は出欠調査がないため、ほとんどの時間を厩舎で過ごしました。伝統的に自由な校風だったからこんな毎日が可能であったのか、他大学でも馬術部員はそういう生活を送っていたのかはわかりません。
卒業が近づいた4年の夏、競走馬の牧場で働こうと思っていた私は、北海道に2週間滞在して情報収集に努めました。この旅で就職先を見つけるつもりだったのですが、競走馬の世界はギャンブル色が強く、勝負ごとに強くない自分は不向きであると思い知ります。直前の大会で、全日本学生馬術大会への出場権を獲得できなかったことが影響していました。実家(奈良)へ帰る道中でも進路の見通しが立たず、両親にどう説明しようかと困りました。もう少しで家に着くという近所のバス停で、普段何気なく眺めていた図書館がふと目にとまりました。考えを整理しようと入ったのですが、本を手にとって読み始めてみると、大学で馬以外の勉強をしなかった自分に気づきました。そして次の瞬間、ちょっと遅いけど今から勉強しようという気持ちになりました。思えばとても呑気で勝手な考えだと自分でもあきれます・・・
それからというもの、分子生物学の勉強に日々取り組みました。4年生で所属した研究室では、大腸菌へある遺伝子を導入する魅力的な卒論研究を行い、実験と勉強に没頭しました。実験の面白さを教えて下さったのは、ボクサー出身の先輩でした。自分に厳しく私に優しいその先輩に、研究生活のスタート時点で出会えたことはとても幸運でした。その後、ヒト細胞への遺伝子導入を行う目的で、宅浪を経て北海道大学大学院地球環境科学研究科に進学しました。大腸菌を用いたベーシックな研究よりも、ヒトの治療に関する興味が強くなったからです。この頃は細胞分子生物学に集中する一方、馬術を一切断っていました。修士課程の指導教官に、医学研究科への進学(博士課程)を薦められたし、私もこの分野に進もうとイメージしていました。しかしある時、障害をもった方が乗馬する内容をテレビで見たのをきっかけとして、また大きな想いが膨らみ始めました。「馬を人の健康に利活用する」といったテーマは、大学4年間で馬術をし、学部研究室と修士課程で基礎医学を学んだ自分にぴったりの研究内容であると思ったのです。
当時、国内では数少ない大学の研究室でしか、障害者乗馬のテーマは研究されていませんでした。その数少ない研究室に、北海道大学農学研究科畜牧体系学研究室があったのです。私は迷わず近藤誠司先生の門を叩きました。博士課程では発展途上のテーマに取り組む上で多くの困難に直面しましたが、心の底からやりたいテーマの研究ができる幸せは常に感じました。遠く回り道しましたが、今でも「馬を人の健康に利活用する」研究テーマに取り組めています。