研究者を目指すあなたへ

私がAnimal Scienceに飛び込んだ理由

石田 藍子(畜産草地研究所)

少し長くなりますが、私が今の職場で研究をすることになった経緯を紹介いたします。今回はエピソード1として、私が生き物の命をいただいて生活できていることに気づいたお話をさせていただきます。

突然ですが、私の父は食品加工卸業を営む社長、でした。社長といっても、数人の従業員さんがいる小さいお店の社長兼調理師でした。食品加工卸業って??と思う方が大半だと思いますが、旅館や老人ホームなどの施設で出される料理、町の商店や仕出し屋さん(小売業の方)が扱うお総菜などを調理し卸売りをする仕事です。焼魚、天ぷら、フライ、など父はさまざまな料理を調理していましたが、父のスペシャリティは鰻職人であることでした。今考えれば贅沢な話ですが、しっぽの焦げた鰻がお弁当に入っていたことなどあって、私は大きくなるまで鰻が高級な食材であることを知りませんでした!!当時はそのことは、小売店さんからの注文を受けたり、伝票の整理を手伝ったりするのと同じくらい普通のことだと思っていました。少し大きくなって、小学校高学年くらいから、従業員さんが出勤しない週末や、忙しい夏の丑の日にはお店へ手伝いに行くようになりました。その中での経験が今の仕事へつながる(畜産学を専攻する)一つのきっかけでした。

鰻の蒲焼きを作るために、店には多くの鰻を飼っていました。購入した鰻は、砂抜きをするために桶の中にいれ、流水をかけながら数日飼った後で、調理します。当時から動物が好きだった私は、かわいい顔をした鰻がにょろにょろと動いているのをじっと観察しているのが好きでした。手伝いの合間を見ては、鰻桶の前を覗いていました。父が一通り他の料理を調理し終え、鰻桶を調理台の脇に持っていったら、蒲焼き調理の始まりです。勢いよく身をくねらせる鰻の頭をガシッとつかんで目打ち釘をさし、シュパーっと鰻をさばく父の姿は、迫力があり格好よかったです。どんどん鰻がさばかれていき、串にさして焼く前に銀色のバットに並べます。いつも通りの一連の父の手際に見とれた後、ふと、さばかれて並んだ鰻に目をやると、鰻はかわいい顔をしたまま、まだぱくぱくと口を動かしていました。そして、そのとき、大きな声でキュウ、と鳴いたのでした。このとき、ビックリするくらい胸が苦しくなったのを覚えています。なんて残酷なのだろう、と。そして、次に、私はこの鰻の命をもらって生きているのだなぁ。と感じました。もちろん、小学生も高学年になり食べ物として生き物の命をいただいていることは分かっていましたが、鰻の命をもらって焼いて獲た糧で生活できていることを強く感じた瞬間でした。この出来事が、命をもらって生きること、を意識し始めたきっかけだったように思います。実はずっとこの出来事は忘れていたのですが、大学4年生の時の就職活動で受けた面接の担当者から、畜産学を選んだ理由を聞かれた時に、真っ先に浮かんだのがこの光景でした。

その後、おおざっぱな話になりますが、何も考えない中学生生活、多感な高校生生活、迷いすごした大学生活、今の職場へという流れになりますが、これから少しずつ私が今の研究者という職に行き着いたきっかけをご紹介できればと思います。

(写真は、今は引退している父が、仕事の最終日に焼いた鰻の蒲焼き、と鯛の塩焼きです。)

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