研究者の日常

研究を行う上であいさつは必要か?

水島 秀成(北海道大学)
2019年5月

私は、北海道大学に勤めて2年が経ちました。通勤路の途中には児童保育園があり、毎朝、児童や児童の親が先生に対して、「おはようございます」と言っているのを聞きます。これが私の毎朝のスタートです。大学人になってまだ年月が浅く、学生が研究を行う上で必要なこと、あるいは研究指導者としての資質は何たるかを語ることもできませんし、人生とは何たるかを語れるほども生きてきたわけではないのですが、挨拶は研究室内でも意外と重要であると思っています。現代社会においても、「あいさつ」は何かと話題になりやすく、「挨拶のできない人」などと人となりを表す代名詞のようなものでも使われているケースも少なくありません。ではなぜ挨拶は大事なのか?研究室でも必要か?

我々研究者には、研究室という世帯があり、学生さんを含めた複数の人間で成り立っています。一般的な社会の中では小さな集団ではありますが、それでも共同生活の場であり、社会であります。多くの人は毎朝、「おはようございます」から始まることが多いと思います。しかしながら、現状としては、「あれ、気がついたらいる」、「あれ、気がついたら帰っている」という学生さんが多いのではないかという印象を受ける昨今です。もちろん、こちらから「おはようございます」と言えば返してくれます。また必然か偶然か、私の知る限りでは、挨拶のできない人の中には、「考えや身の回りも含めて整理整頓ができない」、「トラブルが生じてもそのままにしておく」、このような人が多い印象も持っています。一概には言えませんが、整理整頓とトラブル解決は別の能力ではなく、「解決できない→ものが増える→整理ができない」という悪循環になっている可能性も十分にあり、実はそれも「あいさつ」の一つで解決できるのかもしれません。また「おはようございます」と発する行為は、メンタル的にも朝のスタートダッシュを行う上で重要なファクターでもあると個人的には思っています。

挨拶の語源は、禅宗の「一挨一拶:いちあい いちさつ」に由来しています。調べたところ、一方が相手の力量を測る為の積極的な攻め込み、突き進む「挨」と、すかさず切り返し、切り込む「拶」があり、力量を見定めあう丁々発止のやり取りの様子をあわせた言葉だそうです。私が学生だった時に、恥ずかしながら遅刻もしましたし、悪い例では昼に目が覚めて、「おはようございます」、あるいは「こんにちは」というべきか悩んだことがあります。挨拶をするべきか否かすら迷ったことも数多ですが、話す言葉の中身よりも、話しかけられるのを待つのではなく、自分から相手に「おはようございます、寝坊しました」と、言葉を交わす行為そのものが、お互いの良好・信頼関係を保つ上で必要なのだと今更ながら気が付きました。つまり「あいさつ」とは、互いに心を開いて相手に迫ることが本質にあり、「相手の心を測り」、「心を通わせる」最初の重要な手段なのです。この行為があるからこそ、次のコミュケーションが生まれ、そして研究レベルでも必要な情報が共有でき、トラブル解決へと発展できるのだと思います。「ありがとうございます」や「ごめんなさい」も同じで、お互いの信頼関係が築かれるとともに、謙虚さや相手を思いやる心も同時に培われ、それらの積み重ねこそが共用器具や自身の身の回りの整理整頓、問題解決能力にも通じていくものと思っています。

理学系の大学で学位をとるためには、研究実験が必須であるケースがほとんどだと思います。実験を行う上で失敗はともなうものでありますが、そこから生れる新たな発見もまたあります。失敗には原因があり、また発見にもきっかけがありますが、それらは目で見える結果からではなく、学生と教員のお互いのコミュニケーションの中から生れるケースが多いのではないかと思っています。研究室内でともに同じゴールを目指して研究を行っていく上で、上述のようにコミュニケーションは重要であり、そこから良好な人間関係・信頼関係も生まれ、もちろん押し売りもよくないわけですが、その始点にはやはり「挨拶」が重要だろうと思います。

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